大仁金山跡
OHITOKINZAN RUINS黄金の温泉の始まりは
かつて栄えた金山だった
大仁金山は江戸時代、
徳川幕府にとって佐渡金山と並ぶ
豊富な埋蔵量があると言われる
重要な金山でした。
金の採掘中に噴出した温泉は坑夫や湯治客に
「黄金の湯」として親しまれ、
今もなおこんこんと湧き出ずるその湯は
修善寺時之栖「百笑の湯」に引き継がれ
人々を癒し続けています。
大仁金山とは?
大仁金山は、天正年間の1591年頃に江戸幕府の鉱山奉行となる大久保長安が発見。 江戸幕府の初代将軍となった徳川家康公を大いに喜ばせた由緒ある鉱山です。当時の最盛期は慶長年間(1596-1615)で、当時は地名から「瓜生野(うりうの)金山」と呼ばれていました。
大仁金山の歴史
瓜生野金山は、慶長2(1596)年から寛永2(1624)年までの約30年間、佐渡金山に並ぶ江戸幕府直轄の金山として栄えていました。時が流れ、昭和8(1933)年から「帝国産金興業株式会社」が金採掘を再開し、名称を「大仁金山」に変更しました。大仁金山には、1日当たり100トンの鉱石処理が可能な「浮遊選鉱場」が建設され、選鉱された鉱石は伊豆箱根鉄道の貨物列車で大仁駅から茨城県日立鉱山に運ばれ金に製錬されていました。しかし、昭和33(1958)年の狩野川台風で甚大な被害が発生するなどしたため、昭和48(1973)年に、金の採掘を中止し、金山としての役目を終えました。
大仁金山の現在
昭和12年の夏、金山の地下98mの鉱床で金を採掘していたところ、突然98度の温泉が湧き出て、はじめ鉱山労働者向けの公衆温泉浴場が建設されました。しかし、次々に温泉が湧出したため、1937年に日本でスパリゾートの先駆けと言われている「帝産閣」と言う観光客向けの施設に改装されオープンしました。温泉は、閉山後も変わりなく金山の鉱床から湧き出ており、「黄金の湯」として、修善寺時之栖「百笑の湯」に引き継がれて、現在も地域最大級のスパリゾートとして愛されています。